まぁアレだ。本を読むことについてだ。

読むことに苦痛はないが


昔から本を沢山読めと言われてきてるし、じっさい子供の頃はファミコン買ってもらえなかったし、テレビも時間制限されていたのでよく読んだ。
そりゃよく読んだと思う。社会に出るまでは、時間は無限だと勘違いするくらいある。
親もたくさん読んでいたから家にも本はけっこうあったし、遠くの大きい図書館にも家族で通ったし、そんなんで大人になっても本はよく読む。
最低でも月に10冊程度。ただ、これまでのジャンルは翻訳小説中心。というか小説オンリー。
遅まきながらここ最近(3ヶ月程度)、ジャンルがビジネス/自己啓発書中心にシフトしてきた。小説は通勤中のみに。

で、話題は本の読中と読後のこと


読み方って、実は教えてくれないし、自分も意識しない。そもそも読み方(読書術)なんてものがこの世に存在するなんて思ってもみない。
文字を追う、文章を理解する、言いたいことを理解するし、文句を言う。時に主人公になるし、時には神の視点をもって本を楽しむ。
登場人物からロールモデルを見つけたり(ブーンフィッツロイ・M・エンジェル)、考え方や行動様式・美学などを学んできた。それらは冊数を重ねるうちに自然とわかってきて、本のどの部分が重要でどの部分は軽く読んでも問題ないかもわかってきた。
もちろん、小説を読む時のはなし。いろいろと応用はできるが。

読書には2系統あるのか


小説はいい。小説は、主に『味覚の楽しみ』であり『娯楽』であり『心の楽しみ』だから。
読後に登場人物の名前を憶えている必要もないし(極端に言えば読中だって)、なんだったら内容を殆ど忘れても悔いはない。中には心にいつまでも残り続ける傑作もある。
美味しい食事と同じで、食べてる最中は美味しいかどうかで、食後に余韻に浸れればなお良し。
そして、その料理を自分で作る必要はない。味わいメイン。


ただビジネス/自己啓発書においては、小説と勝手が違ってくる。
読中のやる気みなぎる感は良い。ただ、読後に余韻に浸ってそれでおしまいでは意味がない。
食後に自分でその料理を作ることが(同じでないにしても、似たような)、食べる目的である。
作らないことには、意味はない。料理することメイン。

そうなると


当然、作るとなると自分が何を食べたか理解していないことには、作ることはできない。
その本には何が書いてあって、自分はどう理解したのか?何をまねることができて、何をすべきか。
冒頭から最後まで読んで、書いてある内容は大体わかった。けど、大体なのだ。
自分は確かにこの本を読んだ。自分にとって、この本に書いてあるこの部分は大事だと思い、この部分を実行してみようと思っている。そう、
「自分は確かにこの本を読んだんだ!」
血肉になった実感が欲しい。

では、どうすれば良いか?


答えは簡単で、どの読書本にも書いてあると思う。
(1)読む
(2)実行する


ん、簡単。文章にすればたったの2つ。
で、終わってしまうが、そうじゃない。
『(1)読む』についてだ。


もちろん読むことなんて、個人の流儀があってしかるべきで、長年研究してきたわけではないし、人様に「これが最強だよ」と胸を張る内容でもない。申し訳ないが俺得エントリー。


松岡正剛 → 梅棹忠夫 → 本田直之 → 斎藤孝 → 勝間和代 → 池上彰 → 梅棹忠夫
と教えを乞うてきて、いわばここ最近のモヤモヤしている部分を整理するため。
さぁ吐け。


ここらへん(コレコレコレ)が入ってないので、なんとも貧弱な内容になるが。
続く・・・