序章 成果をあげるには(1)

引続き『経営者の条件』。たとえ時間がなくとも、少しづつでも毎日この本を手にとること。

目標は、ドラッカーがこの本で語っている内容を自分自身の日常レベルまで落とし込むこと。
自分自身の日常レベル(=自分自身の言葉・行動)まで落とし込めて、初めて理解したと言えると思う。

この章では、成果をあげるためには何をしたら良いかが、記述されている。

八つの習慣

彼らが成果をあげたのは八つのことを習慣化していたからだった。
(1)なされるべきことを考える
(2)組織のことを考える
(3)アクションプランをつくる
(4)意思決定を行う
(5)コミュニケーションを行う
(6)機会に焦点を合わせる
(7)会議の生産性をあげる
(8)「私は」でなく「われわれは」を考える

前章でも出てきたが、成果をあげる人たちは特別な才能を持った人たちではなく、成果をあげる力を努力して身につけ、それを習慣としている。ポイントは『習慣化する』。
(1)〜(2)で『知るべきこと』を知り、
(3)〜(7)で成果をあげ、
(8)で組織内の全員に責任感をもたらす。
(4)〜(7)は(3)のアクションプランを行動に移す為に必要となる。

なされるべきこと、組織のことを考える

第一に身につけるべき習慣は、なされるべきことを考えることである。何をしたいかではないことに留意してほしい。なされるべきことを考えることが成功の秘訣である。これを考えないならばいかに有能であろうとも成果をあげることはできない。

したいことではなく、何をしなければならないか。
となると、所信表明などはまさに、「私は〜を実現すべく云々」の「〜」は「しなければならないこと」を理由を挙げて言うのが、スジか?。
「したいこと」よりも「なされるべきこと」。
でも「したいこと」を胸に抱いて、それを「成し遂げること」を夢とするね。あえてそこで自分に冷徹となり、組織を見渡すことができるか。難しいね。
そして「なされるべきこと」に対して、「優先順位を付け」て「集中して」実行すること。

しかし、その優先課題を仕上げても、優先順位が二位だった課題に自動的に移行してはならない。最初から優先順位を考え直さなければならない。「では、いまなされるべきことは何か」と考えなければならない。通常はまったく新しい課題が浮上してくる。

これは新鮮。普通は優先順に上から片付けていくけど、一つ終わったら一旦見直しをかけるのか。
そして作業のTodoリストでも使えそう。作業繋がりで新たな作業が発生することもあるし。今の作業が何をもたらしたかの確認も含めて。
そして、自分が得意とすることに集中すること。

成果をあげるために身につけるべき第二の習慣、第一のものに劣らず大切な習慣が、組織にとってよいことは何か考えることである。株主、従業員、役員のためによいことは何かを考えるのではない。

そもそも組織としての会社にとってよいことでないかぎり、他のいかなるステークホルダーにとってもよいこととはなりえない。

組織にとってよいことは何かを考えても、正しい答えが得られるとは限らない。いかに頭がよくとも、先入観にとらわれて間違いを犯すことはある。しかしこれらを考えないならば間違った結果になることは必定である。

ステークホルダーは確かに大切なではあるが、ステークホルダーの為にを考えることではない。あくまで組織にとってよいことは何かを考えること。
但し、組織にとってよいことは何かを考えても正解が得られるとは限らない。けど、考えないよりはマシ。

アクションプランをつくる

エグゼクティブとは行動する者であり、物事をなす者である。エグゼクティブにとっては、いかなる知識といえども行動に転化しないかぎり無用の存在である。しかし、行動の前には計画しなければならない。

行動しなければ意味はない。そして、行動する前には計画(=アクションプラン)がなければならない。
アクションプランには以下が考慮されていること。
望むべき結果、予想される修正、チェックポイント、時間管理上の意味合い。

アクションプランとは意図であって、絶対の約束ではない。拘束ではない。一つひとつの成功が新しい機会をもたらし、一つひとつの失敗が新しい機会をもたらすがゆえに、頻繁に修正していくべきものである。
(中略・・・)
アクションプランなるものはすべて、柔軟性を当然のこととしなければならない。

アクションプランは、
・柔軟性を必要とする(行動の結果が新しい機会をもたらす。それに対応していくため)
・成果と期待を照合するためのチェックポイントが必要となる(中間点と次のアクションプランの策定前)
・時間管理の基準としても必要(時間の使い方の目途となる)

アクションプランなくしては、成り行きの中で意味のあるものとないものとを見分けることすらできなくなる。


今回はここまで。
ちょと記述のスタイルについては、考えないと駄目かも。